大吉備津彦命を祭神とする吉備津神社で、毎年「えびす祭」が行われます。
2024年の祭りは、9日から11日まで開催され、商売繁盛や五穀豊饒を祈願する場として知られています。
祭りでは、えびす様の縁起物が配られ、10日には備中神楽が奉納されます。
この神社の本殿は、「吉備津造り」として特徴的で、屋根には2つの入母屋破風が並んでおり、国宝に指定されています。
吉備津神社えびす祭2024いつ?時間や日程など基本情報
吉備津神社えびす祭2024の開催日程・時間や場所は、以下となります。
【開催期間】
2024年1月9日(火曜日)~2024年1月11日(木曜日)
【時間】
本えびす(1月10日(水曜日))午前9時00分頃から
【場所】
吉備津神社
〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津931
吉備津神社えびす祭2024熊手や福箕等縁起物の出店について
1月10日(水曜日)に開催される特別な祭りでは、福を呼び寄せると言われている熊手や幸運を掬うための福箕などが人々に求められ、多くの人々が訪れます。
このイベントはまさに幸運のシンボルが集まる素晴らしい機会です。
熊手はさまざまなサイズやデザインで提供され、各人にぴったりのものを見つけることができます。
毎年、参拝の後に熊手や福箕を求める人々で列ができるほどです。
熊手や福箕は、商売繁盛や五穀豊穣を願う人々や、新しい年に向けて頑張る決意を込めて購入する人々に人気があります。
熊手は広く知られていますが、福箕はあまり知られていないかもしれません。
福箕は、穀物をふるい分けるための道具として始まり、幸せを引き寄せる象徴としてお正月に使用されるようになりました。
ただし、地域によってその知名度は異なるかもしれません。
また、宝船などの縁起物も有名です。宝船には七福神や金銀財宝が乗っており、これは穢れを払い、悪いことを水に流すと考えられています。
枕元に宝船の絵を置くと、良い夢を見ることができるとも信じられています。
自分にとって最適な縁起物を見つけることができることを願っています。
吉備津神社えびす祭2024屋台などの露店はあるの?
数はそれほど多くはありませんが、屋台などの露店はあります。
普通の縁日にあるような定番の食べ物がほとんどになります。
吉備津神社えびす祭2024アクセス
【場所】
吉備津神社
〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津931
【電車】
JR岡山駅~吉備津駅(約30分)?徒歩で約10分
JR倉敷駅~吉備津駅(約40分)?徒歩で約10分
【車】
岡山総社ICから車で約15分
岡山ICから車で約15分
吉備津神社えびす祭2024駐車場
専用駐車場があります。収容台数400台ほどです。
吉備津神社えびす祭の期間中は無料で駐車可能です。
吉備津神社えびす祭2024御利益や歴史
吉備津神社は、岡山市に位置し、大吉備津彦大神を主祭神とする神社です。
この神社は、日本建築の傑作である「吉備津造り」の壮大な社殿で知られています。
また、鳴釜と呼ばれる神事や、桃太郎のモデルとしても有名です。
桃太郎の物語は、日本の伝説として広く知られていますが、吉備津神社には、桃太郎の物語の元となったとされる温羅退治の伝説も伝えられています。
この神話は、古くからこの地域で伝えられており、桃太郎の物語の源とされています。
吉備津神社は、歴史ある大神社で、江戸時代には商売繁盛や招福の場として栄え、昭和47年頃からは吉備津神社えびす祭が再び盛んに行われています。
この神社では、大吉備津彦命の長寿が信仰され、健康や長寿を願う参拝者が多く訪れます。
また、学業成功、建設工事の安全、交通安全など、さまざまな祈願も行われます。
吉備津神社は夫婦円満、安産育児、縁結びなどの願い事にも力を発揮する場所として知られています。
吉備津神社えびす祭は、商売繁盛や豊穣を祈願し、多くの人々がえびすの像やお守りを求めて訪れます。
特に1月10日は賑やかで、農具や植木の市が行われ、神楽も演じられます。
ぜひ、一度訪れてみてください。
吉備津神社について
吉備津神社(きびつじんじゃ)について解説していきます。
●主祭神
大吉備津彦命
おおきびつひこのみこと
●相殿神
大日本根子彦太瓊命
おおやまとねこひこふとにのみこと
細比売命
くわしひめのみこと
稚武吉備津彦命
わかたけきびつひこのみこと
吉備津神社の本殿内陣には、中央には主祭神の大吉備津彦命が祀られています。
右側には相殿神の大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)と細比売命が、左側には稚武吉備津彦命が祭られています。
大吉備津彦命は別名五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)としても知られ、第七代孝霊天皇の皇子で、山陽道を平定した四道将軍の一人であり、吉備津開国之神として尊敬されています。
大日本根子彦太瓊命は孝霊天皇の皇子であり、大吉備津彦命と稚武吉備津彦命の父です。
細比売命は孝霊天皇の皇后であり、稚武吉備津彦命は大吉備津彦命の弟で、共に吉備地域を統治し、吉備臣の祖とされています。
伝承によれば、平安時代初期の大同元年(806年)、備中吉備津神社から分霊を受けて、備後国品治郡宮内(現在の福山市新市町宮内)に建立され、備後国の一宮として崇拝されました。
『百錬抄』によれば、寛喜元年(1229年)、また『日本史列伝』によれば、元弘2年(1332年)に火災で本殿が焼失しましたが、その後、永和2年(1376年)に小野宮左近将監によって再建されました。
鎌倉時代の『一遍上人年譜略』『一遍聖絵伝』によれば、弘安10年(1287年)には時宗の開祖「一遍上人」がこの神社を訪れ、聖人供養のために秦皇破陣楽という舞楽を鑑賞したとされています。
永和の再建時には、三殿が現在の社殿の元として統合されたと考えられています。
現在の社殿は慶安元年(1648年)に初代福山藩主水野勝成公によって建てられ、その後修理が行われています。
また、吉備津彦命と温羅に関連する桃太郎(鬼退治)伝説も残っており、矢置岩や御竈殿など伝説の舞台が体験できます。
また、鳴釜神事は釜の音を使って吉凶を占う儀式として多くの人に親しまれています。
本殿と拝殿は1425年に再建され、全国で唯一の吉備津造り(比翼入母屋造り・ひよくいりもやづくり)の建築様式を採用し、国宝に指定されています。
また、本殿から続く360mの美しい廻廊も歴史的な建造物で、一見の価値があります。